最近では教育というと学校の専門職でもあるかのような錯覚を持っている父母も少なくありませんが、それは自らの責任を放棄した姿で、教育の基本はあくまでも家庭にあります。
幼児にとっての学習
教育の現場で表現指導をしている専門家・福島 康氏(現・帝京大学非常勤講師)は母親と子ども達(乳児や幼児)がいっしょに表現遊びをするワークショップを行っていますが、最近の母親が乳幼児としっかり目線を合わせて向き合えないことを心配しています。遊びのなかで乳幼児と向き合って「おはよう」の挨拶をしたり、ほほずりしたり、おでこをくっつけたりする仕草がぎこちないのです。なかにはそうした仕草をうっとおしそうに行う母親もいます。
この病気は乳幼児に多くみられる病気です。この病気にかかると身長が伸びず、体重もふえません。そしてオムツかぶれとか身体の汚れが目立ちます。病気は家庭崩壊のほか、母親が子育てをうまくできなかったり、嫌ったりして、乳幼児が愛情を注がれず、必要十分な食事も与えらることのない日々を過ごすうちに発症します。
同じような原因と理由で、幼児期や児童の心と身体を蝕む病気に、情緒剥奪症候群があります。かつては、教育のことはなんでも母親の責任とばかりに、母性剥奪低身長症とか母性剥奪症候群とか呼ばれていましたが、家庭崩壊が引き金となることがあるこの病気は、父親の責任も重大であるため、今日では情調剥奪症候群という病名で統一されています。
最近の大人達は子どもの自立をせっかちに求めがちですが、子どもは自立できない発達段階の存在だから子どもなのです。つまり、幼い子ども達に対しても、手のかからない自立を求めるのは、親のエゴであり、ないものねだりですから、子どもを自立させようとして行う母親の突き放しはとりわけ、子どもの心をさみしくさせるばかりです。
ここでちょっと視点を変えたお勉強の話しです。幼児に右左を教えるような場合、どのようにしたらよいでしょうか。母と子がテーブルをはさんで向かい合って座ったとします。お母さんが右手をあげると、子どもからは左側の手をあげたことになります。また、子どもにわかりやすようにと子どもから見た右側の手を上げて教えれば、子どもはあれちょっとて変だなと不安になってしまいます。
幼稚園・小学校・中学校等々へ入学するための受験熱が過熱する一方の時代ですから、忘れられがちですが、幼児にとって一番大切な学習は遊びです。このことをいいかえると、幼児は遊びの中からさまざまなことを学習してゆくのです。
“ままごと”は漢字で『飯事』とかきます。つまり、本来は子ども達が玩具を使って炊事や食事の“まねごと”をすることです。すでに述べた“まねごと”という言葉に象徴されているように、ままごとは幼児達が日常生活をまねることで学んでいく遊びなのです。もちろん、実際のままごとでは炊事や食事のまねだけでなく、育児や買い物やお母さん達の井戸端会議、そして季節の行事等々が子ども達の思いつきでどんどん取り入れられ、まるで即興のお芝居のように展開していきます。
子どもは1歳すぎると自発的になぐりがきをするようになります。そして3歳を過ぎると、大人が描いてみせれば水平の線、垂直の線、十字の形、円などをまねして描くことができます。また、4歳になると正方形、円、正三角形を手本を見てかけるようになり、5歳になると二本線の間を上手にたどれるようになり、6歳を過ぎると菱形も手本を見て描けるようになります。また、子どもは3歳から6歳までの間に、円形や横・縦・斜めなどの線をあらゆる方向から描けるようになります。幼児の描画能力は驚異的なスピードで発達するので。
伝承遊びなどというと、ぴんとこない人も多いでしょうが、昔から子ども達がやっていた遊びです。これには指遊び(ずいずいずっころばし、せっせっせ等)、お手玉歌(おさらい等)、手まり歌(山寺の和尚さん、一かけ二かけ三かけて等)、羽子つき歌(ひとり来な等)、縄跳び(大波小波、おじょうさん等)、列あそび(いもむしごろごろ、通りゃんせ等)、子取りあそび(子捕ろ子捕ろ、花いちもんめ等)等々、まだまだたくさんありますが、最近の大人はこれらの遊びを知らない人も多いようです。
最近は教育を都道府県単位で考えたり、日本の国中が一丸となって考えたりするおおげさぶりがめだちますが、教育の基本はそんな大きな単位で考えるものではありません。大きな単位でおおげさに教育を考えるとキャッチコピーや選挙運動の連呼のような空虚な言葉のられつで終わってしまいます。
英才教育というのはすぐれた才能を持つ者に対して特別なプログラムで教育することで、様々な学科に天才的な能力を示す幼児や児童を大学や国家が支援している例があることは皆さんも知ってのとおりです。
現在、オリンピックで活躍する各種のスポーツ選手やプロ野球とか大リーグで活躍する野球選手、音楽や絵画の分野で世界に躍り出る音楽家や画家、そしてノーベル賞に輝く若き才能達はおそらく英才教育やスパルタ教育、あるいは早教育を受けて有名人になっている人が圧倒的に多いかもしれません。
今は競争社会だとメディアも知識人といわれる人々もわめきたてていますが、人間は裸で生まれてきて、死ぬときもなにも持たずにこの世を去っていきます。棺に黄金を入れてもそれは生き残っている人の自己満足であって死者はなにも持っていきません。